人はなぜ映画で泣くのか?
昨日、ある事に気が付いたので書き留めておきます。
「人はなぜ映画で泣くのか?」です。
...
「そりゃあ感動するからでしょう?」って思っていたんです。
しかしです、なぜか全くといって泣かない人もいますよね。
その人は感動していないんでしょうか?
果たしてそうでしょうか?
そこでひとつの仮説を導きました。
僕は映画「ALWAYS三丁目の夕日」を見てボロ泣きした経験があります。今もう一度見てもやはり泣くでしょう。
思えば映画の中で感情移入するのはいつも弱い立場の登場人物です。
「ALWAYS三丁目の夕日」では、淳之介という親を知らない少年、駄菓子屋の店主であり陽の目を見ない孤独な小説家の竜之介、どこか影のある居酒屋の美人店主のヒロミなど。。
みんなに共通するのは「救われていない」という事です。これは漫画のワンピースにも共通して言える事です。
でも最後、彼らが見事に救われていくからみんな泣くんだと思います。
感情移入する事で、その映画を見ている人も「救われる」疑似体験をするからです。自分も救われた気持ちになるんです。
自分も救われた気がして泣くという事はですよ。
少なくともその人は日頃から「救われたい」と願っているという事です。
それを意識した事がないと言い張る人でもですよ。深い記憶の中に「救われなかった」という気持ちがまだ救われずにある、かもしれないという事です。
それに気づかせてくれるのが良い映画なんだと思います。つまり、良い映画には「人を感動させる」というよりも「人を救う」という作用があるのです。正確には見る人に「自分で自分を救う切っ掛け」を与えてくれる、という事です。
過去の傷ついた自分は自分でしか救えないんだよ、と言うことに気付くチャンスをもらっているのです。
しかし、映画の中では救われても現実のこの世界では中々そうもなりません。だって愚痴を全く言わないって人はそういませんよね。理不尽な事は数えたらきりがありません。
だから、その時にですよ、そんな時にやっておくべきたった一つの事は、「理不尽のまま終わらせないようにする事」なんだと思うんです。
さて、「なぜみんなが泣くような映画でも泣かない人がいるのか?」というもう一つの問いかけについては、
自分で自分を、また他の誰かを救って来た人にとっては、既に救われているので映画の最後に登場人物が救われても、良い話だったなぁという爽やかな感動で終わるからだと思います。
今日は毛色の違う投稿でした!今日も1000文字突破。やりました。
最後までお読み頂きましてありがとうございました。