僕が子育てを真剣にとりくむ3つの理由。その1
おはようございます!
今日は珍しくぐっと気温が下がってとても肌寒い朝でした。
ここ最近、春の陽気に包まれて過ごしていましたので
冬の朝を少し恋しく想い感傷にひたりながら
ゴミ出しをして来ましたよ。(笑)
さて、今日は僕が
子育てを真剣にとりくむ3つの理由
その1
について書きたいと思います。
最初のきっかけは お葬式 での気づきでした。
お葬式では死という現実をまざまざ見せつけられます。故人の死を悼むのはもちろんです。しかしなんどと葬儀に参列しているある日こう思えてきたのです。人の死に目に会うという事は同時に今生きている事、生まれて来た意味、自分が存在している理由などを考える良い機会を与えられているんだと。
おもえば人は産まれてくるときも身一つで、死ぬときも身一つです。産まれて何もない所からまず愛情を与えられ、いろんな事を経験して沢山のものを得て、そして誰かにそれを渡して最後また何も持たずに想い出だけをもって死んでいく。
つまり、人はその時代、その瞬間に生きるものとして過去から何を受け取り未来へ何を渡し繋ぐのか、その為の存在だという考えがとてもクリアーになったんですね。
自分は単なる器の存在であることに気づいたら、
その瞬間、またしてもズガガガーンと雷にうたれたんです。
僕の青年時代はひたすらその器そのものの価値を追求してきた事をありありと感じ取ったからです。相手とどちらがどれだけ勝っているかという無意味な競争に忙しかった日々を懐かしく思いました。
器の装飾がいかに素晴らしくとも、使っていなければ何にもならない。器にどれだけ多くのものを注ぎ、また同じくらい誰かの器に注げるかが重要なのに。
そうして、僕の中で つなぐ というキーワードは生きる意味になりました。
僕は両親に愛されて育った記憶をはっきり持っていますので、息子が産まれたときにまずきちんと向き合って愛情を与えようと決意したわけです。
これが1つめの理由です。
こうして未来の息子へ、世代をつなぐ一大事業に踏み出したわけです。ちょっと大袈裟ですがw
その2へ続きます。
今日もお読み頂きましてありがとうございました。